TED「「いい人」をやめて「もっといい人」になる方法」要約

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「「いい人」をやめて「もっといい人」になる方法」の要約です。

ドリー・チュー

How to let go of being a "good" person — and become a better person | Dolly Chugh

要約

「いい人」でいたい私たち

 

多くの人にとって、自分が「いい人」であると感じることや、そう見られることはとても重要なこと。

 

「いい人」の定義はひとそれぞれだが、定義が何にせよ、その範囲内で道徳的アイデンティティーを最重要視する。

 

そのアイデンティティーを否定されると、人は通常危険領域級の守りに入る。
例えば、慈善団体に寄付したり、ボランティア活動をしたり。

 

「いい人」という重要なアイデンティティーを守るために、人は努力する。

しかし、「いい人」でいることへの執着が「もっといい人」になる妨げになっている。

 

「いい人」であろうとするがゆえに

 

私たちは、すべての物事を合理的に判断できるわけではない。

 

これを「限定合理性」という。
人間は認知能力の限界から、完全に合理的であることはできない。

 

人の頭の中には、常に1100万の情報が入ってきており、そのうち40の情報だけを意識的に処理し、残りは無意識に処理している。これが限定合理性の限定部分。

 

例えば、仕事で疲れ果てて家まで車を運転して帰宅したのに、車を運転してきたことすら覚えていない。青信号だったか赤信号だったか全然覚えていなくて体が勝手に動いていた。

 

あるいは、冷蔵庫を開けてバターを探していてどこにもないと思ったのに、実はずっと目の前にあったことに気づく。

 

このような限定合理性と同様に、人の心は何らかの方法で限定されている。これを「限定倫理性」という。

 

その一つが、「無意識の偏見」
無意識の偏見とは頭の中にある連想のことで、脳が情報を整理するために使う近道といえる。

 

例えば、
白人アメリカ人の大半が、素早く容易に関連付けることができるのが、「黒人」と「良いこと」よりも、「白人」と「良いこと」であるということや、

 

男女の大半が素早く容易に関連付けることができるのは、「女性」と「科学」よりも「男性」と「科学」であるということ。

 

この関連付けは意識的に考えることと、必ずしも一致するわけではない。

 

他の例として利益相反が挙げられる。

 

ちょっとした贈り物であるボールペンや食事が、人の意思決定に影響する。
送り主の味方を指示するための証拠を、自分の心理が無意識に集めているということに、私たちは気づかない。

 

そして、このことは意識しようがない

 

限定倫理性も「いい人」であるとことに価値を見出すにもかかわらず、人は間違いを犯す。

 

どんなに気をつけていても、その間違いにより、時に他人を傷つけたり、不公平を助長したりする。

 

そして人は間違いから学ぶよりも言い逃れをする。
「いい人」というアイデンティティーを保つために。

 

「いい人」でいたいはずがそうではなくなるのはなぜか?

 

「いい人」というアイデンティティーを疑う人は通常いない。
このために、自分の決断に伴う倫理性の意味はあまり気にしておらず、大抵は次第に倫理行動が失われていく。

 

このようなことが起こる原因はなにか?

1.自分の倫理観が正しいう過大評価をしている
2.自分の判断が、利己心にあまり影響されていないと思い込んでいる
3.「いい人」という自己像が、どれだけ自らの行動に影響しているかに気づいていない
4.「いい人」というアイデンティティーを守りたいがために、間違いから学びもっといい人になる余裕を作っていないということに気づいていない

 

また、私たちが持つ「いい人」の定義は二者択一になっている。
「いい人」かそうではないか、誠実かそうではないか、人種差別的かそうでないか、性差別的かそうでないか。

この二者択一の定義では成長の余地がない

 

ちなみに、私たちはたいていの物事に対しこんな姿勢では臨まない。

 

例えば経理を学ぶ必要があれば会計学の授業とるし、親になったら本を読んで勉強するでしたり、専門家に相談したりする。

 

そして、間違いから学んだり、知識を更新していったりする。そうやって改善を続ける。

 

ところが、「いい人」になるためにそういったことをせず、当然やり方を知っていて、当然そうあるべきだと思っている。

 

本当にいい人なるためには

 

「いい人」でいるのを諦める。

 

代わりに「ややいい人」の基準をもっと高く定める。
「ややいい人」ももちろん間違いを犯す。

 

でも「ややいい人」として、間違いを認めそこから学ぼうとする。

間違うことを前提とし、自分の間違いを探す。
自分の間違いによく気付けるようになる。
人から指摘されるのを待ったりせず、間違いを見つける練習をする。

 

その結果、時に恥ずかしい思いをしたり、気まずい思いをしたりしすることはある。

 

そうすることで、より良い自分になる許可を自分に与え、成長の余地を与えてあげる。
私たちは「いい人」であろうとする時だけ、最も肝心なこの部分が抜けてしまうから 。

 

まとめ

 

・「いい人」の定義に対する自分自身の思い込みが強いがために、その思い込みによる無意識での行動が、人を傷つけたり、不公平を助長してしまう。

 

・それによって「いい人」というアイデンティティーが否定されるのを恐れ、間違いを認め学ぶのではなく、言い逃れに走ってしまう。

 

・本当に「いい人」になるには、「いい人」になることを諦めること。そうすることで、自分の間違いに気づき、そこから学ぼうとする。

 

・最も大切なことは、より良い自分になる許可を自分に与え、自分自身に成長の余地を与えてあげること。

 

感想など

なるほどなあと思ったのと同時に、「いい人」になるということを諦めて、自分の間違いに気づくのはかなりハードルが高そうです。
これ、どうやったらできるようになるんでしょうね。

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