「人はなぜ怒るのか そして怒りはなぜ健全なのか」要約

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「人はなぜ怒るのか そして怒りはなぜ健全なのか」の要約です。

ライアン・マーティン

Why we get mad — and why it's healthy | Ryan Martin

要約

 

そもそもなぜ人は怒るのか?

 

怒りの仕組みはごく単純です。刺激されると怒るのです。

 

「こういうノロノロ運転、本当イラつくんだよな。」「あいつ、また牛乳出しっぱなしで頭に来たよ。」 極めつけは、 「私は怒りで困ってはいない。周りが私の気に障ることをしてこなきゃいいだけだ。」・・・

 

なかには、人種差別や性差別やいじめや 環境破壊といった 人類全体が直面する地球規模の問題に憤るという人もいます。

 

事の大小や般的な理由か、特殊な理由かにかかわらず、こういった例を並べて検討すると 共通点を導き出すことができます。

 

人が怒りを覚えるのは、不快な状況や不公平に感じる状況、目標達成が妨げられる状況、避けられたかもしれない状況、自分が無力に感じる状況のときです。

 

しかし、そこで覚える感情は、怒りだけに限りません。

 

怒りは刺激の解釈しだい

 

怒りは単独では起こりません。私たちが怒りを感じるとき、恐怖や悲しみなど、他の様々な感情を伴うことがあります。

 

怒りとは少なくとも、刺激単体が引き起こすものではありません。でないと、誰もが同じ理由で腹を立てることになります。

 

怒りは、その人が刺激を受けた瞬間にしていることや、感じていることが影響するのです

 

「怒る前の段階」といって、空腹や疲れ、心配事がある、時間に遅れそう、こういった状態のときは、その分だけ刺激を強く感じますが、

 

一番の鍵になるのは、刺激をどう解釈するか、自分の境遇の中でどう受け取るかなのです。

 

刺激の一次評価と二次評価

 

人は自分に何かが起きると、まず判断を下します。
良いことか悪いことか、公平か不公平か、非難や罰の対象か。

 

これは「一次評価」といい、出来事そのものを査定します。

 

その次に、自らの境遇において何を意味するのかを判断し、さらに、それがどの程度ひどいことか判断します。

 

これを「二次評価」といい、「これまでの人生で最悪と言うべき出来事か、我慢できることか」という判断です。

 

例えば、車の運転中に、すぐ前の車が法定速度よりずいぶん遅く走っているとします。

 

イライラするのは、ノロノロ運転の理由をこちらは知りようがないからです。
これが「一次評価」です。状況を見て、「ひどいな、非難に値する」と判断します。

 

しかし次に、「別に急いでないし、まあいいか」と 判断するかもしれません。
これが「二次評価」です。腹は立ちません。

 

ところが、もしあなたがものすごく急いでる状況だったら?
起こっていることは同じです。一次評価の結果は変わりません。

 

しかし、二次評価は一転するはずです。

 

「このままでは間に合わない。やばい。全部目の前のあの人のせいだ。いや、人じゃない。鬼だ。」

 

「俺の人生を台無しにするためだけにやって来た鬼だ。」

 

この思考の流れを 「破局的思考」といいます。
物事を最悪の方向に解釈することで、怒りが慢性化した人に最もよくあるタイプの考え方です。

 

様々な思考パターン

 

他にも、

 

「因果関係の誤解」
怒っている人は理由を無関係なものに転嫁する傾向があり、しかも相手は人に限らず、モノのせいにすることも。

 

「過度な一般化」
「いつも」「絶対」「毎回」が口癖です。「私っていつもこんな目に遭う」「欲しいものは絶対手に入らない」

 

「わがまま」
「あいつがノロノロ運転してる 理由なんか知るか 俺が面接に間に合うように スピード上げるか 道を譲れよな」

 

「怒りをかき立てるレッテル貼り」 
他人をバカ、アホ、 鬼などと呼ばわりレッテルを貼る

 

長い間、心理学ではこのような思考を「認知のゆがみ」「理不尽な思い込み」などと呼んできました。

 

確かに理不尽なものもありますし、ほとんどの場合そうです。

 

しかし、時には筋の通った怒りもありますし、世の中には不公平や残忍で利己的な人が存在します。ひどい扱いを受けたときは、怒っていいどころか怒ることが正しいのです。

 

怒りは必要なもの

 

今日憶えて帰ってほしいことを1つ挙げるなら、怒りという感情が私たちに備わっているのは、私たちの祖先が人間になる前もなった後も、怒りのおかげで進化の上で優位に立てたからです。

 

恐怖が危険を知らせてくれるように、怒りは不当な物事の存在を知らせてくれます。もうこれ以上は耐えられないという、脳からのメッセージ。

 

さらに怒りは、不当な物事に立ち向かう原動力にもなります。
祖先たちは怒りを処理するために、肉体を使って戦いましたが、私たちには感情を制御する能力があります。

 

手を出したくなっても自分を抑えて、怒りを別のもっと生産的な何かに向けることができます。

 

一般的に怒りは悪、怒りを悪いことだという前提で話がされます。
例えば、「落ち着きなさい」「リラックスしなさい」「気にするな」などと

 

私は、それよりも怒りを動機づけと考えたいと思います。

 

確かに怒る価値もないようなくだらないこともありますが、人種差別や性差別、いじめ、環境破壊などは許しがたいことです。

 

このような問題を解決するには、怒りを感じ、その怒りをもとに戦うしかありません。
戦う際には、攻撃性も敵意も暴力も不要です。

 

怒りを表す方法は無限にあります。
抗議運動、編集部に手紙を書く、社会運動に寄付する、ボランティアに参加する、アートや文学を創作する、詩作や作曲をしてもいい。

 

お互いに相手を思いやる共同体を作って、非道な行為を許容しないというやり方もあります。

 

この次、怒りがわき起こってきたときは、抑え込もうとせずに、その怒りが教えてくれていることに意識を向けて、前向きで生産的な何かに向けてみてください。

 

まとめ

・刺激されると怒りが起こる

・怒りは刺激単体で起こるのではなく、その刺激をどう解釈するか、どう受け取るのかによる

・怒りは不当なものに立ち向かう原動力となる。

・怒りを動機づけととらえ、世の中の不当なものに対する行動に変えていく。

 

感想など

 

刺激の解釈をどうするのかによって、怒りを制御するということを私はやります。でも、常にできるわけではなく、その時の状況によってできたりできなかったりですが^^;

 

怒りを前向きで生産的なものに向けていくというのはわかったのですが、自分の個人的な怒り、例のようなノロノロ運転への怒りなどの対象を変えるということなのでしょうか?

 

「あ~、もう急いでるのに」→「差別はダメだ!この怒りを差別をなくすために使う」にはならないですよね^^;?

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